ふたつめの時間。

突然ゴルフにはまった、仕事もしているアラフィフのブログ。女ですがクルマも好きです。

人間には持って生まれた力がある~「オプジーボ」受賞に、癌で逝った父と母を思う。

本庶佑氏のノーベル生理学賞受賞の報を聞き、感動と期待で胸が熱くなった人は多いのではないでしょうか。

 

私もそのひとり。7年前に半年の間に、互いに手を取るように揃って癌で旅立った両親のこと、特に最後をホスピスで見送った母を思いながら、このニュースの意味をかみしめました。

 

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二人一緒に癌の手術

二人の癌が発覚したのは、他界する3年前、すなわち10年前でした。

 

仕事が大きなヤマを迎えている時期に、私が仕切っていたイベントの会場で母からの電話で携帯が鳴り、父に胃がん、母に予想だにしなかったステージ4のすい臓がんが見つかったという報を受けたのです。

 

すぐに入院、精密検査を受けて手術へ。猛烈に仲の良かった二人、そろって個室病棟の並びの部屋に入り、術前も術後も点滴棒と一緒に相互に移動しながら、励まし合ったり助け合ったりして過ごし、私も部屋の間を行き来して無事に手術は完了。

 

が、父は組織検査の結果、強度の悪性であることが判明、母はそもそも予後が極めて悪いすい臓がんということで、治療なければ1年生存50%という診断でした。

 

しかし、もともと前向きで意志が強く、生きるということに真摯に向き合っていた二人は、ここからなんの迷いもなく癌と闘い始めます。

 

父は個人での仕事をつづけながら、そして母はその父を支えながら、抗がん治療の合間を縫って東京から定期的に京都の百万遍クリニックに免疫治療にそろって通い続けました。「自分の体が備えた力」を信じるということを常に肝に銘じながら過ごしていたように思います。

 

父はすぐに肝臓に転移し、傷みとも闘いながら治療の繰り返しの3年間、母は抗がん剤が合わなくて副作用に苦しむ3年間でしたが、癌だから、予後が悪いからということを言い訳にせず、でも「もしも」のために、一人っ子である私に迷惑をかけないように各種の申し送りの準備などもしながら、きわめて自然体で暮らしていたのだ、と、今振り返れば思います。

 

癌でも、人として自然に生きる、ということに、とても大事な意味を見出して暮らしたからこそ、ドクターが「2人とも1年もつかどうか」と私に言っていたのに反し、3年間の時間をもたらしたのかもしれません。

 

二人連れ立っての旅立ち

しかし、さすがに父の体が弱り始め、いやいやながらに入院したころに、これまで再発がなかった母の肺に影が見え始めました。父は最後まで闘う姿勢を貫き、治療をやめず、最後、支えてくれた私たちへの感謝と共に旅立った男の終い方。母はそれを見送り、葬儀を出した直後に全身に癌を転移させて、あっという間に半年後に追いかけていった女の終い方。

 

闘い続けた父は病院のベッドで見送り、「痛いのは嫌、苦しいのは嫌、そして見苦しいのはもっと嫌。それだけは忘れないで」と私に言っていた母は、庭の美しいホスピスの部屋で見送りました。

 

「生き様」は「逝き様」。ひとりっこ、一人娘であったこともあり、葛藤と混乱の中、とにかくそれぞれの最期の瞬間が納得いくようにという気持ちだけで、その日を迎えたような記憶が残っています。

 

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「人間には力があります」というドクターの言葉

「痛いのは嫌、苦しいのは嫌、そして見苦しいのはもっと嫌。」と言っていた母との約束を守るために、最期の2週間、私は母を神奈川の山間にあるホスピスに移動させました。

 

風が吹き抜け、鳥の声が聞こえる部屋に静かに音楽を流し、マッサージしたり話しかけたり、傍らで仕事をしたりしながら、すでに意識が混とんとしていた母と穏やかに過ごしたのですが、そこで私は「人間の力」を目の当たりにしました。

 

転院元の病院で、麻酔の点滴、水分の点滴、鼻から栄養を入れる管をつけて移って来た母。ホスピスで検査を受け、まずしたことは、麻酔を弱め、水分点滴を抜く、ということでした。

 

ドクターいわく、麻酔が強すぎて、せっかくの環境や私の存在を彼女が十分に感じることができない、そしてすでに水分点滴は水分過剰、とのこと。彼女の体に合った、痛みのない自然な状態に調整しましょう、その方がお母さんが楽です、と言われました。加療が原則の病院とはまるで違う発想に驚きましたが、同時に張り詰めていた私の中に、スーッと柔らかな風が通った瞬間でした。

 

1週間後、毎朝の血液検査の結果を手に、柔らかいピンク色のセーター姿のドクターが、母の傍の私に言いました。

 

「そろそろお鼻の管を取ってあげましょうか?1日一度の栄養を受け止めるパワーが弱まって、内臓が辛そうです。どうされますか?」

 

つまり、麻酔だけ残して、インプットをやめましょう、自然に任せましょう、その方がお母さんは楽です、というメッセージ。旅立ちにむけて準備をしましょう、という優しい言葉。

 

私は迷わず、それが楽なら抜いてあげてください、と答えました。そして、見苦しかったチューブとテープが除かれ、母は普通の顔に戻りました。

 

処置の途中で、私は「ひとつだけきいてもいいですか?インプットがなくなって、急に脱水起こしたり苦しくなったりしないのですか?」と尋ねました。

 

すると彼はにっこり笑い、こう言いました。

 

「人間の体は、ものすごくよくできています。自分の体を自然に着地させるために、お母さんは自分のペースで体にある余分なものをゆっくり使いながら時間を過ごすから、心配はいりませんよ。持って生まれた力を使い切る、その時間をあげることが大事なんですよ。」

 

事実、5日後、私の手を握り、目を見つめて息を静かに引き取るまでに、彼女のむくみは綺麗になくなり、肌は羨ましいほどにツヤツヤに透き通り、唇はふっくらと戻って、まるで健やかに寝ているかのような表情になったのです。

 

あまりに綺麗になっていくので、慌てて旅立つ2日前に地元の美容師さんを呼び、寝たままの彼女の髪を綺麗に切り揃えてもらい、万全の状態で父のもとに出発させることができました。

 

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免疫の力を使う大きな意味

最後の瞬間に人間がどう自分を終うのか。その持って生まれた能力を目の当たりにする経験を通じ、医療の世界の加療の限界とある種の不条理に気づかされ、悶々としていた私には、今回のノーベル賞の免疫治療は、光さすものでした。

 

両親が受けていた免疫の自家培養治療は、すべて自費。今回の発見で排除できたブロック機能が残ったままでは、免疫は癌を潰すことはできなかったのだと、今にして思えば納得がいきます。

 

両親には間に合わなかったけれど。

 

でも人間がそもそも持って生まれた力を増幅させて病と闘えるのであれば、生を受けて生きる上では、心にも体にもそれに越したことはない、と心の底から思うのです。

 

医療の世界は、制度、規制、予算、学閥、派閥、企業、政治との関係がからみつき、そもそもなんのために医療が存在するのか、視界が曇っているように思えてならないのですが、そんな中、人間の本来の力を呼び戻す発見が実用化されて普及することで、豊かな未来が広がっていくことを、期待してやみません。

 

癌と闘う人、その人の愛するともに闘う家族のみなさんに、一日も早く健やかな日々がやってきますように、祈ります。