※LinkedInのニュースのコメントに書くために少しまじめに考えたことを、こっちにもきちんと書いてみようと思います。
最近、「働き方改革」という見出しが躍り続けています。一見、働く側の人たちを楽にする施策の推進、というイメージに見えて、その言葉そのものに、強い違和感を感じるのは、わたしだけでしょうか。
なぜそう感じるのか?「働く」という行為の場やそのやり方を決める「主導権」を、行政や企業が握り、「あなたの働き方、変えましょう。」というニュアンスをうっすらと感じるからです。
◆「働き方」は誰のものか?
そもそも「仕事」は一人ひとりの人生の一部であり、自分らしい人生を生きるための手段のひとつにすぎません。それが生きがいそのものの人もいれば、生活費を稼ぐための活動かもしれない。取り組み方が「会社勤め」形式の人の場合もあれば、「個人事業主」の場合もあれば、ニート形式の人もいて、様々です。
そういう意味では本来、「働き方」の主導権は個人一人ひとりが持っているはず。企業側の視点から見れば、そこで働いている人のモチベーションと能力が健全にまわり、願わくばすくすくと向上し、企業のビジョンや目指す姿とシンクロして回っている状態がそこにあるかどうか。そのことがまず一番最初に考えることなのではないかと思います。そして、制度は、それをうまくまわしていくためにあとからついてくるものです。
◆「働き方」はライフステージによって変わる
翻って、人にはそれぞれのライフステージがあります。若さと体力、自由にあふれて仕事に集中できるときもあれば、子育てが生活の半分を占める時期もある。一段落したら、親の介護をしなければいけない時もやってくる。
さらに、そのステージは、タイミングも濃淡も、状況や性格、環境によって一人ひとり異なります。それを、企業や法律が一律のルールで枠をはめて規定したり、細かい制度を立てつけることで帳尻あわせようと終始するほど、企業や社会で動く物事はコマ切れになり、組織のオペレーションと価値創造活動は分断され、シンプルであるはずの人間同士のコミュニケーションも複雑になります。
もちろん、人権や人格を尊重して守るための、「防御」の制度は必須です。でも、制度ありきであらゆる物事を設計すると、隙間に落ちるものがあふれでて、それを処理するためにまた不要なエネルギーを使うことになる。
たとえば、「何時には仕事を終えて退出しなければならない」「何時以降にPCにアクセスすると処罰される」といった一律の制度やルールが、本当に「働き方改革」なのでしょうか。それが、一人ひとりの生活を落ち着いた豊かなものにしていくために重要なことなのでしょうか。
この場合、仕事に取り組んでいる人の「思い」や「こだわり」やモチベーションの視点は、そこには一切存在しません。あくまで「働き方」を時間でぶったぎっているだけなのです。それで組織が健やかにまわるとは思えないのです。
◆働く人の「思い」が生かされる環境
「この仕事はちゃんとやりたい」「大変だけどこの仕事はきちんと終わらせたい」「この仕事を通じてだれか(お客さんや仲間)を喜ばせたい」と思う人が、自分の時間や働く場所を自分で選びながら、やり遂げられる環境を作ってあげること、そうしてやりとげたことに、適切なフィードバックを受けて、喜んだり反省したりさらに成長したりするというサイクルが、あちこちで回るような環境を作ること。
それが、本当の意味で目指すべきことなのではないか。これが私の想いです。
なんにしても、働かないことで生きていくことはほとんどの人は難しい。だとするならば、その時間をいかに豊かにできるかが、人生全体への豊かさにもつながるし、それが社会の豊かさの循環を創っていくのだと思います。
人間の人生のライフサイクルは多様で波もありますが、組織の生産性、創造性を長い目で考えると、「健全なモチベーションを持ち続けている人がそこにいて、価値創造し続けていること」が組織にとっても一番の価値です。そういう状態をどうやって作っていくのか?という議論があって初めて、それをサポートするための「おしつけがましくない」多様な制度があり、みんなが自分の状況にあわせて自由に運用している、という順番なのではないかと思うのです。
◆本来持っている「思いやり」「助け合い」が根源的な力になる
そしてなにより大事なのは、非常にプリミティブな、そして自然な「互酬性」「助け合い」「コラボレーション」。大変な時にあの人が助けてくれた、支えてくれた、だから私も今は頑張ろう、私が頑張るタイミングだ、といった、普通の人間としての気持ちのやりとりが組織を網の目のようにつないで、しっかりとした筋膜を張ってくれる。
私が子育てで大変だったとき、上司も部下も頑張ってくれた。だからこそ、今はその上司を支え、部下が子育てが大変な時は理解をして支援したいと思う。両親を癌で看取る半年の間、チームメンバーがなんとか私の不在をつないでくれた。だからこそ私も仲間がしんどい時はつながなければと思う。
組織を結び付け、つなぎ、支えるのは、決して「制度やルール」ではない、そのことを常に胸に手をあてて思うことの大切さを、忘れたくないなと思っています。